久宝寺緑地・1969年頃の航空写真
年代 | 昭和44年(1969年)頃 | 出典 | 1969「大阪の公園緑地」大阪府土木部公園課 |
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建設中の中央環状線を挟んだ園地のほとんどは、まだ緑の田畑である。
久宝寺緑地は昭和42年、38.23haの区域について事業決定が行われ、昭和44年4月から整備が開始された。
久宝寺緑地プール
年代 | 昭和54年7月24日 | 出典 | 一般財団法人 大阪府公園協会 |
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プール中央のヤシの木は、今も変わらない久宝寺緑地プールのシンボル。
久宝寺緑地のプールは昭和46年開設。ピーク時の昭和53年には41万5000人の入場者数があった。
上空から見た久宝寺緑地周辺(1961年)
年代 | 昭和36年 | 出典 | 大阪府都市整備部 |
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四大緑地の一つとして昭和16年(1941年)に計画決定されると同時に、事業決定もなされ、第二次世界大戦の戦時防空緑地となった。
戦後、昭和21年(1946年)の「自作農創設特別措置法」の制定により、旧耕作者に緑地の全地域が返還された。
昭和42年(1967年)より、再び事業化に着手するが、写真は着工前の昭和36年(1961年)当時の久宝寺緑地の姿。のどかな田園風景が広がる。
南側に、現在のJR関西本線(大和路線)の久宝寺駅があるのがわかる。
上空から見た久宝寺緑地周辺(1967年)
年代 | 昭和42年 | 出典 | 大阪府都市整備部 |
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昭和39年(1964年)久宝寺緑地は府道中央環状線の計画に伴い、緑地区域から道路部分を除いた。
写真は、その後、昭和42年(1967年)に一部区域を事業決定し、用地買収に着手した当時のもの。
中央環状線が整備されつつあるのがわかる。また緑地周辺、特に北側(東大阪市域側)での開発が進んでいるのがわかる。
上空から見た久宝寺緑地周辺(1985年)
年代 | 昭和60年 | 出典 | 大阪府都市整備部 |
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プールや野球場などの運動施設や駐車場などが出来上がっているのがわかる。
写真は、昭和60年(1985年)撮影されたもの。
緑地の南西部は、現在では人工芝のテニスコート6面であるが、当時はアンツーカーコート2面とバレーコート2面であったのが見てとれる。