大泉緑地・1969年頃の航空写真
年代 | 昭和44年(1969年)頃 | 出典 | 1969「大阪の公園緑地」大阪府土木部公園課 |
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昭和44年、本格的な整備事業が開始された頃の大泉緑地航空写真。
北側の長細い池が大泉池、その東側が頭泉池(かしらいずみいけ)、南西に見えるのは加呂登池(かろといけ)。
1973年の航空写真
年代 | 昭和48年(1973年) | 出典 | 大阪府都市整備部 |
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昭和47年に、児童遊戯場・水流・加呂登池・噴水・駐車場を含む緑地の一部30haが開設された翌年の航空写真。大泉池の北部・東部は整備が進んでおらず、多くの田畑が残っている。
上空から見た大泉緑地
年代 | 昭和52年頃 | 出典 | 大阪府都市整備部 |
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昭和52年(1977年)頃の大泉緑地。
花壇・双池橋が完成し、大泉池の東側の護岸改修に乗りだした頃と思われる。
野球場・中央休憩所を整備する以前の姿。
昭和49年(1974年)に完成した、今は無くなっている「盲人コーナー」が、緑地南西部の加呂登池の南にあるのが見てとれる。
現在では14面のテニスコートになっているところが、当時はまだ球技広場であったことがわかる。
1972年の航空写真
年代 | 昭和47年(1972年) | 出典 | 大阪府都市整備部 |
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大泉緑地は、昭和44年(1969年)から本格的な整備を開始。加呂登池や中央環状線沿いの入口付近・芝生広場の整備が進み、公園南部は現在に近い形になっている。園内の草木がまだ十分育っていないため、白っぽい地表が目立つ。
金岡地区児童遊戯場
年代 | 昭和52年頃 | 出典 | 大阪府都市整備部 |
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金岡地区児童遊戯場(現在ではわんぱくランド)で遊ぶ子供達。
大泉緑地は、昭和47年(1972年)に、金岡地区児童遊戯場、水流、加呂登池周辺の約30haを開設。
その後、順次開設して、昭和52年(1977年)当時は、現在の開設区域の8割にあたる81haを開設していた。
金岡地区児童遊戯場は、平成3年(1991年)にリニューアルし、わんぱくランドとなった。
金岡口噴水
年代 | 昭和48年頃 | 出典 | 大阪府都市整備部 |
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昭和47年(1972年)、最初に金岡口付近の約30haを開設。その中心にあったのがこの噴水。
写真は、その翌年の昭和48年(1973年)頃の様子。当時は、園路の舗装面と噴水の間に柵を設けていなかったがその後、噴水の周りに柵を設ける。
大阪府営公園写真コンクール応募作品「休日を楽しむ人々」
年代 | 昭和57年(1982年) | 出典 | 「写真コンクール応募作品 昭和57年」(財)大阪府公園協会 |
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昭和57年、財団法人 大阪府公園協会・創立25周年記念事業の一つとして、大阪府営公園の写真コンクールを実施、325名より894点の応募があった。
写真は「日本報道写真連盟賞」を受賞した「休日を楽しむ人々」4枚組写真の一枚。前年(昭和56年)に完成したばかりの中央休憩所が見える。
国際青少年年「ウッドヴィレッジ」
年代 | 昭和60年(1985年) | 出典 | 大阪府都市整備部 |
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1985年が、国連により「国際青少年年」に指定された事を記念して、現在の冒険ランド周辺に「ウッドヴィレッジ」が整備された。
同年には、海外留学生と地元学生の交流事業も行われた。現在、「ウッドヴィレッジ」があった場所には大きな木製遊具が設置され、昔と変わらず、子ども達の人気を集めている。
かきつばた園開園
年代 | 昭和61年(1986年) | 出典 | 大阪府都市整備部 |
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昭和61年(1986年)5月1日、大泉緑地では、15品種1万株を集めた「かきつばた園」を開園。園芸品種を集めたかきつばた園は全国的にも珍しいものであった。
園内の風車は、昭和初期まで広く利用されていた「堺の風車」にちなんで設置されたもの。
当初計画では、他で利用していた風車を譲ってもらう予定であったが、良い状態のものが残っていなかったため、新しく作成する事になった。