日本庭園の休憩所
年代 | 昭和42年(1967年) | 出典 | 「大阪の公園緑地 1967年」大阪府土木部公園課 |
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同じ休憩所が今も日本庭園に残る。現在の「フラワー通り」と「ちかくの森」にあたる場所が見えるが、草花はまだ少なく、道幅は狭い。
当時の日本庭園には、黄菖蒲の咲くヒョウタン型の池があり、「菖蒲園」と呼ばれていた。
「大阪の公園緑地」より「服部緑地」
年代 | 昭和42年 | 出典 | 「大阪の公園緑地 1967年」大阪府土木部公園課 |
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1967年当時の大阪の公園緑地を紹介したパンフレットより、一部抜粋。
地図上にはバレーコート・相撲場・合宿場など、現存しない施設が数多く見受けられる。現在、東中央広場・都市緑化植物園のある場所は、池を埋め立てて整備されたことがわかる。約半世紀前の服部緑地の姿がわかる貴重な資料。