大阪府営 浜寺公園遊泳場パンフレット1
年代 | 昭和38年頃 | 出典 | 一般財団法人 大阪府公園協会 |
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昭和38年頃に発行された浜寺公園プールのパンフレットより。
浜寺運河の対岸はまだ更地で、泉北臨海工業地帯の造成が進められている様子が見て取れる。
大阪府営 浜寺公園遊泳場パンフレット2
年代 | 昭和38年頃 | 出典 | 一般財団法人 大阪府公園協会 |
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昭和38年頃に発行された浜寺公園プールのパンフレットより。
中心の写真には北児童遊戯場にあった噴水とチンチン電車、左側の写真には公園が進駐軍に接収されていた頃に建てられた、いわゆる「米軍ハウス」が見られる。
大阪府営 浜寺公園遊泳場パンフレット3
年代 | 昭和38年頃 | 出典 | 一般財団法人 大阪府公園協会 |
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昭和38年頃に発行された浜寺公園プールのパンフレットより。
作家の山崎 豊子氏を交えた対談では「浜寺公園で開催された第16回毎日マラソンに出場したアベベ選手が公園の芝生を裸足で走り、素晴らしい公園だと言った」というエピソードが紹介されている。
浜寺交通遊園パンフレットー1
年代 | 昭和41年(1966年) | 出典 | 一般財団法人 大阪府公園協会 |
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浜寺交通遊園は、昭和40年5月1日に「遊びながら交通道徳を身につける施設」としてオープンした。
交通遊園全体は、人口40万人規模の都市をモデルとして造られ、ゴーカートのコースは都市の中の高速道路をイメージしていた。
当時のゴーカート料金は1周・一人乗20円、子供汽車は大人片道50円・子供20円であった。